なぜコミュ障夫婦は新興住宅地を選んだか【想像と現実】(前編)
先日、「ご近所からハロウィンに誘われてソワソワした話」を書いたところ、
途中で、「なぜ我が家が新興住宅地を選んだか」、ひいては「ブログ開設のきっかけ」にまで話が及び、膨大な長さになってしまいました…。
kodate-kosodate.hatenablog.com
長すぎて、書いた本人にも非常に読みづらくなってしまった為、前の記事とは分割し、加筆して、以下に、新たな記事として公開します。
既に、分割する前の記事を読んで下さった方には、重複する箇所もあり恐縮ですが、ご一読いただけるとうれしいです。
なぜ我が家が新興住宅地を選んだか
なぜ、新興住宅地を選んだのか。
私たちはブログタイトルで打ち出しているように、自分たちが、俗にいう「コミュ障」気質である、と感じています。(別に、堂々と打ち出すことでもないのですが…)
マイホームを構える場所を「新興住宅地」としたのも、この「コミュ障」に関係します。
古くからの住宅地は?
例えば、どちらかの実家がある地域に、新居をかまえる選択肢もありました。
しかし、そこはどちらも古くからの住宅地で、「地域のドン」のような存在がいるところです。
「ドン」は、町内会長や民生委員などの役職を何年も務めたり、兼務していることもあり、人脈もあるでしょう。
町内会ひとつとっても、周囲が配慮に配慮を重ねるものだから、「ドン」や周りを固める古株たちも、「この地域はわしらがおらんとまわらんぞ」ぐらいに思っているのかもしれません。
もしも、ここでの運営が、合理性のない慣例を重んじるようなものであった場合は、困ったことになります。
何か困ったことがあり、意見をしようとすれば、「ドン」や古株たちの了解を得ないといけない。
しかし、それは実際には、新参者一人では不可能に近いでしょう。
もちろん、私たちも、「無理なくできる範囲」での、地域への協力は必要だと考えていますが、それを、その土地の慣習が許してくれるかはわかりません。
私たちがここまで懸念していた理由のひとつに、妻の両親が住む地域でのエピソードがあります。
実録・「新参者」の悲劇
妻の両親は、壮年といえる年代になってから、その地域に転入したため、まさに「新参者」です。
妻の母いわく、
「周りのお宅がもっとおじいちゃんばかりだから、待ってましたとばかりに役職候補に入れられて、すぐにまわってきそうだよ」
当初、ポストに入れられていた入会案内書には、転入者が希望する参加レベルに⚪︎印をつけるようになっていたそうです。
近年は未入会の世帯も多いそうなのですが、まじめな妻の両親は、「会費だけ払う」の欄に⚪︎印をつけて提出したそうです。
しかし、入会後、役職を決める寄合では、そんなことは全くなかったかのように、しっかり「役職候補」に入れられていたそうです。
「それなら、入らなければ良かった」
役職は一年交代で、順番制なんだけど…と、妻の母は嘆きます。
「前の年度には、うちの前にまだ何人もいたのよ。でも今年度になったら、高齢とか病気とかで、何人も「順番飛ばし」になっていて…。あっという間に近くに迫ってきたよ」
そのため、同時期に町内会に入会した、もっと若い方々も、身の危険(笑)を感じたのか、いつの間にか、名簿から名前が消えていたりするそうです。
妻の両親も、清掃活動や寄合には、可能な限りは参加しているそうですが、もうリタイアしている夫婦二人だけなので、
「『運動会に来て』と言われても知らない人ばかりだし、体も動かないしねぇ…」
と、特に興味のない行事への断り文句には困っているそうです。
そういえば、寄合は夜に行われるそうですが、ご高齢の古株の方たちが、終わったあと、毎回一時間近く談笑していて、他の方が帰るタイミングに困っていたそうです。
あるとき、妻の父が、「もう帰っていいですよね」と言って、一人スタスタ帰ってきたたところ、それまでそういうことを言う方がいなかったのか、少し空気がピリついていたと…。
それを聞いた妻の母はびっくりして、「言葉に気をつけないと」とたしなめたそうですが。
その程度のことでも、新参者は気を遣う必要があるのですね。(もちろん、目上の方に対する敬意は必要ですが。)
寄合には、地域の交流をはかる目的もあるでしょうし、古株の方にとっては顔なじみばかりで楽しい時間でしょう。しかし、このご時勢、残業など、忙しい時間をやりくりして来ている人も多いでしょう。
話したい人は話し、帰りたい人は帰る。
簡単なことのようで、そうではないようです。
でもこの話を聞いて、新しい人や若い人に過度に寄りかかるのに、古株にはひたすら気を遣う、そんな町内会では、若い人はどんどん入らなくなるんだろうなぁ、と思いました。
それって、その町内会が、自分で自分の首をしめているように思います。
(あくまで妻の実家の例であり、古くからある町内会すべてに当てはまるとは考えていません)
ちなみに、妻の両親は、「もし辞めたら、近所で顔を合わすのが気まずい」と言って、無理して入り続けています。
無理が通れば道理が引っ込む?
そんなところに、さらに「若い世代」にあたるであろう我が家などが入った日には、すぐに役職が割り振られ、休日は、清掃やスポーツ、寄合や懇親などにかり出されるであろうことは、想像に難くありません。
もし「無理」なことが起こった場合、近所が古株だらけの中で、新参者一人で「道理」は通るのか。
多勢に無勢で、針のむしろ状態にならないように、ひたすら気を遣うことになるのではないか。
妻の実家の話を聞いた限り、もし理不尽なことがあっても、合理的な話し合いや解決ができるとは、あまり思えませんでした。
そうなると、我が家の生活が崩壊するまではないでしょうが、特に、精神的な影響は小さくないと思います。
新興住宅地にあると思っていたもの
以上はいささか極端な例ですが、最近流行りの言葉を借りれば、「しがらみ」からできるだけ解き放たれた暮らしをしたかったわけです。
新興住宅地を好む人は、性質がドライな傾向の人だったり、転勤族だったり、「土着」感がうすい人が集まるのではないか。
それに、新興住宅地なら、近所もみんな新参者なので、立場は同じです。
(ちなみに、我が家は小さな新興住宅地にあるので、地域の町内会に組み込まれています。ですがその地域自体も、比較的新しくできた地域なので、そう理不尽なことはないのではないかと考えました。)
地域の決め事についても、「しがらみ」や声の大きい人間の意向ではなく、話し合いなどのしかるべきプロセスを経て、合理的な判断を、地域として下せるのではないか。
もちろん、他人の生活への干渉なんてしない、さぞ、考えの整理された人々が集まり、合理的な暮らしをしているだろう、と。
私たち夫婦はこのような考えが根底にあり、ふところ事情なども考慮し、この新興住宅地を選びました。
のちに、これは世間知らずな考えであったな、と思い知ることになるのですが…。
「しがらみ」がないからインディペンデントな生活を送るのかと思いきや、そうではなかったのです。
また長くなってしまったので、後半に続きます。