なぜコミュ障夫婦は新興住宅地を選んだか【新たなしがらみ】(後編)
kodate-kosodate.hatenablog.com
「なぜコミュ障夫婦は新興住宅地を選んだか(前編)」の続きです。
実際に新興住宅地にあったもの…陣取り合戦!?
妻は、最初の年のご近所情勢を、
「人間関係がゼロのところからスタートするから、当時は、仲良し作りのための、陣取り合戦のようだった」と表現します。
確かに、毎日のように、夕方、乳幼児を連れたお母さん方が家の前に出て、暗くなるまで井戸端会議をしていました。
妻はそんな様子をカーテンの隙間から観察しつつ、
「そんなに長々しゃべることないよね」
「別に、近所でママ友とかはいらないんだけど、きなこちゃんに地域のつながりを作ってあげないと…!」と、ブツブツつぶやいていたものです。
その目的を達成するためなのでしょう。妻は、私から見たら、「意を決して」といった悲壮な様子で、小さなきなこちゃんを連れて、毎日散歩に出かけていました。
それから数年経った現在は、陣取り合戦がある程度おさまったのか、井戸端会議はほぼなくなったようです。
妻も、ハロウィンに呼んでもらえる程度には、地域のつながりを作ることに成功したようで、まあ、良かったな、と思う次第です。
新たなしがらみを作りたがる人
また、同世代が多く、生活レベルも同じような感じ、という点が、一般的に、新興住宅地の特徴といえると思います。
しかし、価値観も同じように、とは行きませんでした。
隣人の不満やうわさ話を、我が家には関係ないのにわざわざ吹き込みに来る人もいます。
人の子育てをズケズケ否定して、自分の考えが絶対のように押しつけてくる人もいます。
俗にいう「ボスママ」のような人もいて、まるで他の人全て自分の支配下にあるかのような、今流行りのマウンティング的言動をされることも、一度や二度ではありません。口癖は、「みんな言ってる」ですが、そのみんなの実体はよく分かりません。
しがらみがない土地には、それでは飽きたらず、新たなしがらみを作って、そこの頂点に立とうとする人が出てくるものなのだな、と感心せずにはいられません。(それとも、もともとそういう人なのでしょうか…)
良いしがらみであれば、それは「おつきあい」「人間関係」なのでしょう。
でも、人と仲良くなろうとするときに、「私たち考え方一緒だよね、あの人違うよね」という、イヤーなベッタリ感でくっつくこうとする人が一定数いて、その人が、他の誰かを「あんた違う」と押しのけようとしたときに、「しがらみ」ができはじめるのではないか、と感じています。
「子どものため」という呪縛
こういったことがあるたびに私たち夫婦は疑問に思うのです。
「どうして価値観を押し付けてくるの。自分は自分、他人は他人でいいじゃん」と。
何度、リビングで脱力したでしょうか。
「知らんがな」
ただ、私たち夫婦だけであれば、ここまで意に介さず、「ふーん、そうなんだ」でスルーもできていたと思います。
しかし、ここでの暮らしは、まだ小さい子どもたちのものでもあります。
私たちが、周囲と軋轢を起こして、子どもが、色んな友達と出会う機会を奪うことはあってはならない、という思いがあります。
時折、妻は口にします。
「近所の子どもたちは、いずれ同じ小学校に行く関係。親同士で下手にトラブルを起こすわけにはいかない」と。
小学校が同じ。この呪縛は、妻にとって、なかなかのストレスになっているようです。
ただでさえ、小さな新興住宅地。(規模は数十軒です)
袋小路のようになっている場所もあり、この閉じられた近所イコール世間、に近い感覚になってしまうのかもしれません。
そしてブログ開設へ…
そういう心境でいるところに、今年、町内会では、役員が回ってきて、そこで色々な出来事があり、ついに、もろもろのストレスは頂点に達しました。
そして、私たちは、何とか目線を他の楽しいことに向けようと、ブログを始めてみようよ、となった訳です。
たとえどんなことがあっても、私たち夫婦が実は「コミュ障」であっても、リアルでは涼しい顔をして、つかず離れず、上手におつき合いしていかなければ。
ブログを細々更新することが、日々の小さな楽しみになっています。
長文をお読みいただきありがとうございました。
普段は、意味のあることやないこと、いろんなテーマで更新していますので、よろしければ、今後ともよろしくお付き合いください。