コミュ障夫婦が戸建てで子育て

途方にくれた夫婦が、小さな新興住宅地で、気難し屋の一男一女と暮らしています。周りを気にし過ぎてしまうあまり、周りは気にせず楽しく暮らす!と躍起になる妻と、趣味は音楽と読書で割と色々協力的な夫の日々。

【料理苦手】子育てうつの悪魔を追い払った妻の話【生きる力】

「わたしゃ、弁当作りがこんなに人生に重要だったなんて思わなかったよ。こんな大変なの分かっているんだったらなんで学校で教えておいてくれなかったんだろうね。『生きる力』とか何とか言ってたのにさ」

 

ブログトップで「割と色々協力的」と紹介されている夫です。

晴れわたった休日(日曜日)。幼稚園児のきなこちゃんと、赤ちゃんのもち太郎を連れて公園に散歩に行き、家に戻ったら、

妻が「あ~、もう少しであっちの世界に行くところだった。もう少しで子育てうつの悪魔にからめとられるところだったよ」と胸をなでおろし、さらには冒頭のセリフをぶつぶつ言っているのです。

今回は、妻の独白に「これはただ事ではないぞ」と危機を感じつつも、「いや、これはもしや育児・教育の本質を言い当てているのかもしれないぞ」と思った夫が筆をとった次第であります。

 

 

子育てうつの悪魔

実は、最近の妻の異変には気づいていました。
きなこちゃんの弁当作りにもち太郎の世話が加わり、タイムリーに息抜きをしてもらわないといけない状況が続いています。
今日は夫が久しぶりの休みなので、気晴らしに外出する予定をたてていたのですが、こどもが2人いると、予定通りにはいかないものです。

ちなみに今日は

  1. 紅葉狩り→午前中は夫の疲れが溜まっていて「やる気エンジン」が温まりにくかったのに加え、今秋は暖かいのか寒いのか分からない日が続いていたためか、どこの紅葉が見ごろなのか分からなくなり、断念。
  2. 格下げして近隣の産直市場に新鮮野菜を買いに行く→昼食を早めにとって出かけるか、外で食べるか、判断の難しくなる時間帯にこどもが騒ぎ始めて、おむつやらなんやらかんやらが重なり、断念。
  3. さらに格下げして、昼食後近くを散歩する。

というように、休日のアミューズメント感が後退していったのでした。

 

妻の異変

「晴れてるし、みんなで公園にでも行こうよ」
「無理。できない」

 

夫の誘いを、妻は床に転がりながら、うわごとのような返事をして断りました。
この時、妻には子育てうつの悪魔が迫っていたのだと思います。

異変を察知した夫は、何事もなかったように、「あ、そう」と返し、散歩に出かけました。

 

「憂鬱」っていう字

公園では1時間近く、ブランコやすべり台、落ち葉を使ったママゴトに興じ、帰宅しました。

「ただいま!おかあさん、おみやげだよ!」

 

きなこちゃんが落ち葉(彼女の中では「スパゲッティ」)を握り締め、玄関のドアを開けても、返事がありません。

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「遅かったか…」

夫の背中が熱くなりました。「冷や汗」というのに、冷たくないのです。熱いのです。

夫は、居間や台所につながる扉をおそるおそる開けました。

 

「『憂鬱』って言う字書ける?私が『憂鬱』そのものだよ」とでも言いたげな顔の妻が、ぼさぼさの頭で食器を洗っているのです。

「ああ、お帰り」

 

この後、冒頭の「子育てうつの悪魔にからめとられなくてよかった」発言につながるのですが、胸をなでおろしたのは夫の方でした。

「あ…、食器洗ってる…、『ただいま』に返事がなかったから…」。

つい、「心配」が口をついて出てきました。ため息と一緒に。

 

偉大なる義母、そしてモンスターの誕生

ため息に続いて、夫が矢継ぎ早に質問しました。

「どうしたの?そんなに疲れているの?」
「子育てうつの悪魔ってなに?」
「生きる力ってなに?」

 

妻の回答をおおざっぱに説明すると、明日から再開するきなこちゃんの弁当作りを考えると気が滅入っているようです。

 

聞けば、義母(妻の母)は料理や片付け、掃除など家事全般をテキパキこなすタイプで、妻曰く「気づいたら食事ができていた。気づいたら洗い物が片付いていた。気づいたら部屋がきれいになっていた。気づいたら弁当ができていた」

 

「楽をしたまま大人になってしまったから、家事が本当に特別おっくうで、自分でも困っている。わたしゃ、何不自由ない昭和の家庭から生まれてしまったモンスターなんだよ…」

 

きなこちゃんの入園に伴い、通常の家事や育児に加わった、慣れない弁当作りが大きな負担になるのだそうです。

 

「あー、せっかくの休日なのに外出ができない。西日が差し込んできた。あー、明日からまた弁当だ。夕食も作らなきゃ。メニューどうしよう。あー、せっかくの休日が終わっちゃう」

 

妻の心境を想像するに、こんな感じでしょうか。

 

主要科目と家庭科

妻の独白は続きます。私たち夫婦は30代ですが、

 

「当時は国語、数学(算数)、社会、理科、英語といった主要科目以外の重要度が明らかに低かった。家庭科なんかおまけ扱いだったよ」

と妻は訴えます。

 

妻は結婚を機に退職しましたが、

「それ以降、家庭科の存在感が際立ってきてるんだよ!」と訴えます。

 

「人生で大事なのは家庭なんだよ!家庭のことできないと生きていけないよ!なんで趣味の音楽や図画工作と同列みたいに脳に刷りこんだんだよ!」

 

妻の独演会を聞きながら、夫は「そ、そこは、家庭教育と学校教育の役割をどう捉えるかという問題があって、たぶんそれは地域や時代によって変化していて…」

と頭を巡らしはしたのですが、はっきりとした知識や見解があるわけではないので、オーディエンスとしての役割を全うすることにしました。

 

妻曰く、家でも学校でも「家ではお手伝いをしましょう」とは教育されたため、実際に風呂掃除はしょっちゅうこなしたが、なぜか、食事関係との縁はさほど深まらなかったのだとか。

 

「勉強さえできといたらいい。そういう時代の空気にわたしゃ、流されてしまったんだよ!」

 

妻は、「まあ、責任転嫁なんだけどさ」と続け、独演会を終えました。

 

 

話は次回に続きます。 

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