ママ友トラブルの中に存在していなかった私の話
子どものクラスメイトの母親と話すことに、とても気を遣ってしまいます。
子どもが特に仲良くしてる子の親だと、こちらもその子に親しみを持っているし、共通の話題があるのでまだ良いのですが、
特に仲良くない子の親だと、何一つ、話題が思いつきません。皆無です。
(自分が、子どもが仲良くない子に興味がないのが原因なのですが…。)
大体、子育て方針も、習い事の有無も、親の職業も、何一つ知らない。
唯一の情報は、その親や子どもの外見や言動のみ。
それなのに、エンカウントしてしまった時に、当たり障りない会話をしなければならない。
しかも地雷を避けて。
…とんでもなく難易度高いです。
私も、当然会えば挨拶したり、機会があればコミュニケーションを取ることはしてきました。
ですが、数年間、子どもを幼稚園に通わせてきて、顔見知りはできましたが、特に誰かと「ママ友」になったことはありません。
関わりが皆無で、存在が空気過ぎて、何かトラブルが起こったらしい時にも、私には何の影響もありませんでした(笑)
ママ友トラブルに遭う方は、前提としてそのコミュニティに「属している」から、トラブルにも遭うこともあるのですね…。
いきなり仲良さげに振る舞う母親達
これまで、いつもクラスの中心近くでグループになってる母親達は、ずっと、他人に興味を持ち、超高度なコミュニケーション能力があるのだと思っていました。
新年度が始まって、他人同然だったはずなのに、いつの間にか下の名前で呼び合っていたり、仲良さげなグループができていて、何度も驚かされたものです。
コミュ力以前の「空気感」
でも最近、思い始めた。
いつもグループになってる人達は、もう互いに「空気感」「匂い」で瞬時に仲間が分かるのではないかと。
まずは服装や雰囲気、言動の第一印象で、もう本能的に分かる。
それから、自分に自信があるかないかで、相手にズカズカ行けるかどうかが大分変わる。いつもグループになってる人達は、自分の存在に自信がある、いわゆる自己肯定感が高い人が多そうです。
だから、私のように「違う」人とは、相手の方が、はなから仲良くなろうと思っていないし、積極的にコミュニケーションを取ろうとしていないのではないかと。
…書いてて悲しくなってきましたが、それならば自分のコミュ力でどうこうできる問題ではありません。
「自分を変える」?
なので、もしママ友のグループに入りたいとか、誰かとママ友になりたいのであれば、自分のコミュ力を気にするより、まずは服装などの外見をその人達と似た雰囲気に変えた方が早いのでは?と思います。
ただ、困ったことに?私自身は、そんなに自分を無理して変えたいとまでは思っていません。
どうしても話したい相手がいるわけでもないことに気づきます。
どんなに外見を変えたとしても、人間には持って生まれた雰囲気というものがあるし、無理して相手に合わせたとしても、疲れそうだし、それが自分本来の中身とやっぱり違うのであれば、上手くいかないのではと思います。
大体、「自分を変える」とかいう発想自体が、自己肯定感低過ぎです。
相手は「この人、何か合わない」と思っているかもしれませんが、こちらだって「何か合わない」と思っているのです。相手の方だって、変わってくれても良いはずです(笑)
結局、
自分がいつも挨拶や会話を心がけていても、もしクラスの母親の中に仲良くなれそうな人がいなかったら、それはたまたまそういう巡り合わせだっただけで、自分の問題ではないから、気にし過ぎる必要はない、と思うのです。